要害山城の歴史
武田氏が1519年(永正16年)に石和(現在の山梨県笛吹市)から躑躅ヶ崎館(武田神社)を新たな本拠とした翌1520年(永正17年)、武田信虎が躑躅ヶ崎館の詰城(つめじろ)として背後の丸山に築いたのが要害山城です。
武田信玄が生まれた城としても広く知られています。
この後、1523年(大永3年)に西の守りとして湯村山城を築いています。
信虎・信玄・勝頼と3代にわたって使われた要害山城ですが、豊臣秀吉の甥である羽柴秀勝(ひでかつ)が1590年頃より甲府城の築城を始めると、躑躅ヶ崎館と要害山城は廃城となっています。
城名(別名) | 要害山城(積翠山城、せきすいさんじょう) |
築城者 | 武田信虎(のぶとら) |
築城年 | 1520年(大永3年) |
城のタイプ | 山城 |
山の名前(標高) | 要害山(丸山)(1173m) |
城の標高 | 780m |
城の比高 | 約250m |
登城後記
基本的にお城巡りはできる限り「歩く」ことを意識しています。今回も甲府駅から躑躅ヶ崎館⇨要害山城⇨甲府駅と往復約12kmの登城となりました。
2021年の紅葉シーズンも終わって肌寒さを感じる時期でしたが、天気もよく、非常に清々しい気分で登城できたのを覚えています。ただ、肝心の写真が何故か見当たらず、また後で写真をアップしたいと思います。要害山城の本丸からは富士山を拝むことが出来るのですが、その写真も何処かへ。
4年近くも経ってから書いてるようじゃだめですね。