応仁の乱から戦国時代と戦った城
竹田城は、但馬(たじま)守護で応仁の乱の西軍の総大将だった山名宗全(やまなそうぜん)によって1443年に築城された、応仁の乱、安土桃山時代の戦乱の世を戦った山城です。
応仁の乱後の戦国時代、城主・太田垣輝延(てるのぶ)は、竹田城と敵対する織田軍と毛利軍の間で降伏と寝返りにより危機を切り抜けるが、最終的には秀吉の弟・羽柴秀長(ひでなが)により落城します。
この頃に現在の石垣や曲輪群が出来上がったようです。
関ヶ原の戦い後では豊臣方西軍に加勢したため、江戸幕府開府ごに廃城となりました。
城名(別名) | 竹田城(虎臥城、とらふすじょう) |
築城者 | 山名宗全(やまなそうぜん) |
築城年 |
1443年頃 朝来市HPより |
城のタイプ | 山城 |
山の名前(標高) | 古城山(こじょうさん)(353m) |
城の標高 | 353m(本丸) |
城の比高 | 約250m |