幕末の動乱「天誅組」をも撃退した難攻不落の山城【高取城・奈良県】

高取城の歴史

高取城(たかとりじょう)は、奈良県高市郡高取町にある標高583mの高取山山頂に築かれた山城です。麓からの高低差(比高)は390mと日本一を誇り、備中松山城(岡山県)、岩村城(岐阜県)と並び「日本三大山城」の一つに数えられています。
その歴史は鎌倉時代末期の元弘2年(1332年)に始まります。南朝方の豪族・越智邦澄(おちくにずみ)が、北朝方に対抗するために高取山に築いた簡易な砦(掻揚げ城)が原型とされています。戦国時代に入ると、織田信長の大和国城塞整理にともない天正8年(1580年)に一度は廃城となりました。
しかし信長の死後、豊臣秀長の家臣である本多利久(ほんだとしひさ)が天正17年(1589年)に入封すると、高取城の運命は大きく変わります。本多氏は山頂に大天守や小天守を建て、山全体を27棟の櫓、33棟の門で固める大規模な近世城郭へと大改修を敢行しました。山頂から麓まで白漆喰の建物が連なる姿は「巽高取雪かと見れば、雪でござらぬ土佐の城」と謳われるほどの壮麗さを誇りました。
寛永17年(1640年)からは譜代大名・植村家政(うえむらいえまさ)が入城し、以後明治維新まで植村氏が14代にわたり高取藩の藩庁としてこの山城を守り続けました。明治6年(1873年)の廃城令により建物はすべて取り壊されましたが、現在は国の史跡に指定され、日本100名城にも選定されています。

高取城をめぐる3つの実戦

高取城は、その長い歴史の中で少なくとも3回の大きな実戦を経験していますが、その極めて堅固な縄張りから、一度も落城しなかった「不落の名城」としても知られています。
    • 天文の錯乱・一向一揆(1532年)
      大和国へ侵攻した巨大な一向一揆軍が、興福寺の僧兵らが逃げ込んだ高取城を完全に包囲しました。激しい攻防戦となりましたが、当時の城主・越智氏は険しい地形を活かして一揆軍を相手に城を守り抜き、見事にこれを退けています。
    • 関ヶ原の戦い(1600年)
      天下分け目の決戦において、時の城主・本多俊政は徳川家康の東軍に味方しました。これに対し、西軍に属した周辺の軍勢が城を激しく攻め立てましたが、高取城の強固な防御力を前に攻略を諦め、撤退を余儀なくされました。
    • 幕末の動乱・天誅組の変(1863年)
      明治維新の先駆けとなった尊王攘夷派の武装集団「天誅組」が、軍資金や兵糧の確保を狙って高取城へ夜襲を仕掛けました。千人を超える天誅組に対し、高取藩の兵力はわずか200人ほどでしたが、麓の鳥ヶ峰に大砲を据えて迎え撃ち、見事に敗走させました。これが高取城における最後の実戦です。

明日香村から運ばれた「転用石」

高取城の最大の魅力は、建物が失われた現在も山中に完全な形で残る圧倒的な石垣群です。本丸や二ノ丸跡へと続く山道を登っていくと、鬱蒼とした木々の間から突如として幾重にも重なる苔むした高石垣が姿を現します。そのスケール感と静寂は、まるで森の奥に眠る古代遺跡のような神秘的な雰囲気を醸し出しています。石垣の随所に見られる「転用石(てんようせき)」も歴史的な見どころの一つです。高取城の築城に際しては周囲から大量の石材が集められましたが、その中には近くの明日香村などから運ばれた古墳の石棺(せっかん)などが含まれています。石垣の角(隅石)などを注意深く観察すると、人工的に加工された古墳の破片を見つけることができます。

大阪平野まで見渡せる「国見櫓跡」

本丸手前に位置する国見櫓跡は、高取城で最も視界が開ける絶景スポットです。かつては奈良盆地を監視する重要な櫓が建っていた場所であり、現在も大和三山や奈良盆地を一望できます。天候に恵まれれば、遠く大阪のビル群(あべのハルカスなど)や生駒山系までを見渡すことができ、日本一の比高を肌で実感できます。
城名(別名) 高取城(たかとりじょう)、(別名:高取山城、土佐の城、高取の城)
築城者 越智邦澄(南北朝時代、南朝方の豪族)。のちに本多利久、植村家政らが近世城郭へと大改修を施す。
築城年 元弘2年(1332年)に越智氏が砦を築城。天正17年(1589年)に本多氏により本格的な総石垣の城へと改修が始まる。
城のタイプ 山城(比高差日本一の険峻な地形を活かし、天守台・本丸を中心に二ノ丸、三ノ丸を階段状に配置した大規模な「連郭・梯郭式山城」)
城の地形 大和盆地の南方に聳える「高取山(たかとりやま)」の山頂に配置。大手道(正面)には「七曲り」と呼ばれる急勾配の九十九折や、一升坂などの険しい坂道を配し、侵入する敵の体力を削ぐ構造。要所に27棟の櫓と33棟の門を迷路状に構え、山全体を白い漆喰の壁と総石垣で固めた。本丸からは奈良盆地から大阪平野までを一望でき、圧倒的な広域監視能力を誇る。
城の標高 約583m(本丸部分)
城の比高 約390m(麓の土佐街道付近からの高低差。山城としては日本一の比高を誇る)

高取城へのアクセス

壺阪山駅から、かつての城下町の風情が残る「土佐街道」を歩き、大手道(正面)を経て山頂を目指します。駅から本丸までは約4.5kmの距離があり、標高差(比高)も約390mあります。本格的な登山口(黒門跡付近)に入ってから、七曲りや一升坂といった山城特有の急坂を約1時間かけて登るトータルで約2時間(往復4時間)の本格的なハイキングコースです。

駅前のバス停から奈良交通バス(またはタクシー)に乗り、中腹の「壷阪寺」まで移動します。そこから「壷阪口門跡」を経由して、緩やかな山道を約40分歩いて本丸を目指すショートカットコース(往復2時間)もあるので、自身のない方はこちらをおすすめします。

登城後記

今回は、近鉄吉野線の壺阪山駅からバスを使わず、大手道を通って本丸を目指す「完全徒歩ルート」で登城しました。
駅から城下町の風情が残る土佐街道を抜け、いよいよ山道へ。本丸までの道のりは片道約2時間、比高390mという数字の通り、かなりの登りごたえがあります。「一升坂」をはじめとする山城特有の急な坂道が続く本格的な「登山」のような登城でした。生い茂る木々の奥から突如として姿を現す本丸や二ノ丸の高石垣群、苔むした巨大な石垣の要塞が圧倒的なスケールと静寂をまとってそこに佇んでいます。重機もない時代にこれほどの巨石を山頂までよく運んだなと、ただただ感動するばかりです。
最後に、これから高取城を目指す方にぜひお伝えしたいのは、城内は非常に広大で、場所によっては道幅が狭く険しい箇所もあります。しっかりとした登山靴の着用はもちろん、安易な気持ちで入るとルートを見失って迷う危険性もありますので注意が必要です。水分や軽食の持参はもちろん、日没の時間にも注意しながら登城してください。
山の中に静かに眠る、不落の巨大要塞。
国内最高峰の山城遺構が、時空を超えた圧倒的な感動を与えてくれることは間違いありません。
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