須賀川城の歴史
須賀川城は、室町幕府開府後の1399年(応永6年)、二階堂行続(にかいどうゆきつぐ)によって築城されました。
その後、1589年の「須賀川城の戦い」で、伊達政宗に攻められ落城、二階堂氏は滅亡します。
翌年の秀吉による奥州仕置により、会津領主が上杉、蒲生、加藤と替わるごとに須賀川城主も替わっていきましたが、江戸幕府開府後の1627年、加藤嘉明が会津藩主になったときに、須賀川城は廃城になります。
現在の須賀川城はその面影をほとんど残していませんが、本丸があったされる場所に二階堂神社が建立されています。
岩瀬山城と愛宕山
岩瀬山城は二階堂行朝(ゆきとも)によって愛宕山に築かれたと伝わる城です。
須賀川城が築城されるまでの二階堂氏の居城で、戦国時代には須賀川城の詰城として使われていたと言われています。伊達政宗の「須賀川城の戦い」により二階堂氏が滅亡すると、翌年の「奥州仕置」によって会津藩主となった蒲生氏郷の所領となりました。
その後は歴代の会津藩主が治め、「関ケ原の戦い」後に廃城になったと伝えられています。
現在の城址は「翠ヶ丘公園」として整備されており、本丸跡に愛宕神社が祀られています。今現在も公園のいたるところにその当時の面影を残す土塁を確認することができます。
松明あかし
伊達政宗との「須賀川城の戦い」が発祥と伝わるお祭りが「松明あかし」です。
430年以上続く日本三大火祭りのひとつで毎年11月の第2土曜日に開催されます。
伊達政宗の攻略を受けた人々が城を守るため松明(たいまつ)を持って集まったことが由来と言われていますが、その後は鎮魂祭として現在まで受け継がれています。
詳しい内容は、須賀川市観光物産振興協会HPを御覧ください。
ウルトラマンの故郷
さて、今回のお題、ウルトラマンと須賀川市について、少しだけ書きたいと思います。
ここ須賀川市は、ウルトラマンの生みの親、円谷英二監督の出身地です。
私も子供の頃には大変お世話になった「ウルトラマンシリーズ」。ウルトラ大百科なるものを常に持ち歩いたのを覚えています。
街中を歩いていると、歴代ウルトラマンやその好敵手たちが道の両側から暖かく迎えてくれます。そんな須賀川市ですが、ウルトラマンの故郷「M78星雲 光の国」と姉妹都市提携を結んだそうです。
詳しい内容は、須賀川市観光物産振興協会HP を御覧ください。
城名(別名) | 須賀川城、岩瀬山城 |
築城者 | 須賀川城:二階堂行続(ゆきつぐ) 岩瀬山城:二階堂行朝(ゆきとも) |
築城年 |
須賀川城:1399年(応永6年) |
城のタイプ | 平山城 |
山の名前(標高) | 須賀川城:約20mの高台 岩瀬山城:愛宕山(278m) |
城の標高 | 岩瀬山城:278m |
城の比高 | 岩瀬山城:約30m |
登城後記
私がお城巡りを始めたきっかけは、私が管理している「国内旅行業務取扱管理者試験WEB講座」というサイトで、何かを使って日本全国の観光地を紹介できないかと考えたことからです。
もともと日本史、特に戦国時代から幕末にかけての歴史や史跡巡りが好きだったということもあったので、趣味のお城巡りとその地域の見どころを併せて紹介しようと、このブログを書き始めました。
そう決めてから、既に5年近く経ってしまい、集めたネタも何百となってしまったため、記憶をたどりながら現在奮闘中です。
ただ、年齢とともに落ちていくと言われる記憶力ですが、不思議と当時撮った写真を見ると記憶がすぐに蘇るのには驚きです。
今回の須賀川城は2023年のちょうど松明あかしが終わった11月半ば頃の登城です。