佐倉城の歴史
佐倉城は、1538年(天文7年)、この地を治めていた千葉氏の家臣・鹿島幹胤(かしまもとたね)が築城したのが始まりと言われています。
その鹿島幹胤の死去により築城が中断、江戸時代になった1610年(慶長15年)、徳川家康の命を受けた秀忠付きの年寄(後の老中)・土井利勝(どいとしかつ)が築城と城下町の整備を開始、約7年の歳月をかけて佐倉城は1617年(元和3年)に完成します。
家康は佐倉の地を江戸城に近い要衝であると考え、土井利勝以降の佐倉城の城主には江戸幕府の要職についた重臣が明治の廃藩置県まで就くことになります。そして1873年(明治6年)の廃城令を受けて佐倉城は解体されます。
明治時代以降、佐倉城の跡地には陸軍歩兵連隊の東京鎮台(とうきょうちんだい)置かれ、第2次世界大戦 が終結した1945年(昭和20年)まで約70年間存続します。「鎮台(ちんだい)」とは当時の陸軍の編成の呼び方で、現在の「師団」のことをいいます。
第2次大戦後は、兵舎は引揚者の寮や佐倉中学校の校舎として使用されますが、1981年(昭和56)年の国立歴史民俗博物館開設によって当時の旧陸軍関係の建物は解体されます。
現在は佐倉城址公園となりましたが、佐倉城時代や第2次大戦の史跡の一部を見ることが出来ます。
城名(別名) | 佐倉城(鹿島城) |
築城者 | 土井利勝(どいとしかつ) |
築城年 | 1617年(元和3年) |
城のタイプ | 連郭式平山城 連郭式とは、本丸や二の丸など、それぞれ独立した郭(くるわ)を組み合わせて築かれた構造で、それぞれの郭が堀や土塁で区切られているため、防御力が高いと言われる。 |
城の地形 | 印旛沼へ流れ込む鹿島川と高崎川の低地にある下総台地の縁辺部に位置する標高約30mの台地先端に築かれた平山城 |
城の標高 | 約30m |
登城後記
佐倉市と言えばミスター長嶋茂雄の出身地、また、故・小出監督に指導を受けたバルセロナ・アトランタ五輪で2大会連続のメダルを獲得した有森裕子さんと、シドニー五輪の金メダリスト・高橋尚子さん2人のランニングロードがあるなど、ランナーの聖地としても有名な場所です。
ただ、この辺りの戦国時代といえばちょっと馴染みがない場所でもありました。頭に浮かぶのは滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」くらいなものです。
この物語は、江戸時代の文豪・滝沢馬琴が28年もの歳月をかけて著した長編フィクションで、現在の千葉県房総半島の南部、現在の館山市にある「館山城」や「滝田城」を舞台に里見氏を静姫や八犬士が救う物語です。
ちょうど1年前に山田風太郎氏の小説を映画化した「八犬伝」が公開されましたが、静姫や八犬士が主人公の映画「里見八犬伝(薬師丸ひろ子、真田広之)」とは違って、南総里見八犬伝の作者・滝沢馬琴の側から見た八犬伝を描いています。そこに親友の葛飾北斎が絡むストーリがまた最高です。
それにしても、役所広司の映画、特に時代ものは何を観ても面白いです。