木偶の坊の城【忍城・埼玉県】

忍城の歴史

映画「のぼうの城」でもおなじみの城が埼玉県行田氏にある忍城です。

忍城は、15世紀後半の1470年前後にこの地を統一した成田氏によって築城されたと伝えられています。秀吉による天下統一の1590年(天正18年)までの約100年間、初代城主の成田顕泰(あきやす)以降四代にわたり成田氏がこの地を治めました。

北の利根川と南の荒川にはさまれた低湿地に位置する忍城は、その広大な沼地を利用した天然要害の城であったため、北条征伐による石田三成の水攻めにも耐え、山中城など小田原城の支城が落ちていく中、北条方の城ととして最後まで秀吉の攻撃に耐え抜きました。
しかし小田原城陥落による北条氏の降伏により開城、秀吉軍に城を明け渡すことになります。

そしてこの北条征伐での忍城と秀吉軍の戦いを描いた映画が野村萬斎が成田長親(ながちか)を演ずる「のぼうの城」」です。

忍城はその後、関東に入った徳川氏の譜代・親藩大名が大政奉還後の廃藩置県まで城主を務めることになります。

廃藩置県により廃城となった忍城は1873年(明治6年)に破却され、当時のものとしては土塁の一部のみとなりましたが、1988年(昭和63年)に御三階櫓が再建されています。

行田市観光

行田市のご当地グルメで「ゼリーフライ」という食べ物があります。ゼリーとかフライと言う言葉からは想像がつかない全く別の食べ物で、ジャガイモ・ねぎ・にんじん・おからなどが入った、周りの衣がない野菜コロッケのようなものです。名前の由来はその形にあり、小判型の「銭フライ」が時とともに変化し「ゼニー・フライ」となったとか。ちなみに、行田市ではフライは揚げ物ではなく「焼き物」を指すそうです。

また、行田市は「日本一の足袋の生産地」として有名です。利根川と荒川という二大河川に挟まれた豊富な水と綿花や藍の栽培に適した気候により、江戸中期に足袋の生産が始って以来、約300年にわたりその技術と伝統が現代に受け継がれています。

城名(別名)忍城(浮き城、亀城)
築城者成田氏。四代・成田顕泰(あきやす)のときに築城されたと伝わる
築城年15世紀末(1470年年前後)
城のタイプ 平城(浮城、沼城)
城の地形沼沢地(しょうたくち)を利用した平城。周囲を沼地で囲まれ、その沼地に島のように点在する地形を利用していることから「浮城」または「沼城」として知られている
城の標高約21m

登城後記

溜まりに溜まったお城の写真を整理中です。仕事の合間を縫って始めた城巡りも既に150以上を超えました。城の知識も無いまま始めた城巡りですが、当時の写真の撮り方や撮りたい視点などが城巡りを重ねるうちに徐々に変化していくがわかり、客観的に見て非常に面白いです。始めた当初の写真をみると「何でこんなの撮ったんだろう」というのがあったりします。一番多いのが、撮った場所がわからない写真です。それもまた面白いですね。