新島八重も狙った砲撃の地【小田山城・福島県】

小田山城の歴史

小田山城(おだやまじょう)は、一説には承久4年(1222年)に会津蘆名(あしな)氏の祖である蘆名光盛が築いた、また、文和3年(1354年)頃に蘆名氏によって本格的な山城として築かれたという説があります。中世から幕末にかけて会津の覇権をめぐる戦いの舞台となった重要な山城で、その歴史は鎌倉時代から南北朝時代にまで遡り、長きにわたり会津を支配した蘆名氏の足跡を色濃く残しています。

その後、戦国時代中期、16代当主の蘆名盛氏によって広大な向羽黒山城が築城されると、詰めの城としての役割はそちらへ移行しました。永禄11年(1568年)頃に小田山城はその実質的な役目を終え、のちに廃城となったと伝えられています。

幕末・戊辰戦争での転換点

廃城後も蘆名氏や会津藩家老の墓所として静かに時を刻んでいましたが、慶応4年(1868年)の戊辰戦争で再び歴史の表舞台に立ちます。
新政府軍は鶴ヶ城からわずか約1.5kmしか離れていないこの小田山を占拠し、山腹に砲台(西軍砲陣跡)を設置しました。ここから放たれたアームストロング砲などの激しい砲撃は、鶴ヶ城に籠城する会津藩兵に致命的な打撃を与え、開城・敗戦を決定づける要因となりました。この際、城内からは新島八重らが小田山の砲台に向けて決死の反撃を行ったことでも知られています。

蘆名氏の滅亡と伊達政宗

長く会津を支配した蘆名氏ですが、名君・蘆名盛氏(あしなもりうじ)の死後、蘆名氏では後継者争いが勃発。一族ではない常陸(茨城県)の佐竹氏から養子(蘆名義広)を迎えたことで家臣団の結束が乱れ、全盛期の勢いを失っていきました。

摺上原の戦い

この好機を逃さなかったのが、若き天才武将・伊達政宗です。天正17年(1589年)6月、政宗率いる伊達軍と蘆名軍が磐梯山の麓で激突した摺上原(すりあげはら)の戦いが起こります。
蘆名軍は数で勝っていたものの、内紛による連携不足から総崩れとなり、大敗を喫します。
敗れた当主・蘆名義広は、黒川城(のちの鶴ヶ城)へ逃げ帰ったものの防戦不可能と判断。実家である佐竹氏を頼って常陸国へ逃亡しました。
これにより、鎌倉時代から約400年続いた会津の名門・蘆名氏は事実上滅亡し、会津は伊達政宗の支配下へと移りました。

城名(別名) 小田山城(おだやまじょう)、(別名:小田山館、小田山要害)
築城者 蘆名氏(蘆名光盛説、あるいは蘆名氏一族。のちに7代当主・蘆名直盛が大規模修築)
築城年 明確な築城時期は不明(鎌倉初期の承久4年/1222年説、南北朝期の文和3年/1354年説、永徳3年/1383年の修築記録など諸説あり、戦国時代に本格整備されたと推定)
城のタイプ 山城(本城である黒川城〈のちの鶴ヶ城〉の背後を守り、有事に籠城するための「詰めの城・支城」)
城の地形 会津盆地や黒川城下を一望できる、独立性の高い小田山の山稜上に配置。西側の城下方面は極めて急峻な斜面となっており、尾根続きとなる背後の東側を、大規模な堀切や土塁によって厳重に遮断した緊密な防御陣形を持つ要害(幕末の戊辰戦争ではその地形・立地を新政府軍に利用され、鶴ヶ城への砲撃陣地となった)
城の標高 約372m(主郭部分)
城の比高 約150m(麓の平地や城下からの高低差)

小田山城へのアクセス

小田山城の最寄り駅は、JR只見線の「会津若松駅」または「七日町(なのかまち)駅」で、約30~40分の道のりです。いずれの駅からも、まずは街のシンボルである「鶴ヶ城(若松城)」方面を目指して南東へ進みます。駅から城の登り口までは、会津の歴史ある街並みを楽しみながら歩くことができます。鶴ヶ城の東側にある「福島県立博物館」や「鶴ヶ城公園」の近くを通り、さらに東へ進むと小田山の麓に到着します。登り口周辺には「小田山公園」の案内板が設置されています。

登城後記

小田山城の山頂に立つと、木々の隙間から美しく佇む鶴ヶ城の姿をはっきりと望むことができます。
実際にこの場所に身を置いてみると、その「近さ」に驚かされます。約1.5kmという距離は、中世においては「本城の背後をガッチリ守る鉄壁の要害」であったと同時に、幕末の近代戦においては「城を見下ろす絶好の砲撃陣地」になってしまったのだという、歴史の皮肉を肌で感じずにはいられません。
足元に目を移せば、蘆名氏が築いた中世山城の立派な堀切や土塁が今も形を留めており、そのすぐ近くには戊辰戦争で響き渡った大砲の陣地跡がひっそりと佇んでいます。一つの山の中で、400年続いた戦国大名・蘆名氏の栄華と、幕末の会津藩の悲壮な決戦という、二つの大きな時代の終わりを感じられる非常に濃密な空間でした。
駅から歩いて気軽に登れる山でありながら、これほど深く会津の歴史の転換点を体感できる場所は他にありません。鶴ヶ城を訪れる際は、ぜひ少し足を延ばして、この小田山城からもう一つの会津の歴史を眺めてみてはいかがでしょうか。
鶴ヶ城は見えましたか?