長浜城の歴史
長浜城(ながはまじょう)は、1573年(天正元年)、織田信長から浅井氏の旧領を与えられた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が、初めて築いた居城です。それまでの山城であった小谷城から拠点を移し、主君・信長の一字を取って地名を「今浜」から「長浜」へと改めました。
この城は、琵琶湖の湖水を城内に引き込み、舟の往来を前提とした「水城(湖城)」の先駆けです。秀吉はここで税を免除する「楽市楽座」を行い、城下町の商人たちを優遇して街を大きく繁栄させました。のちに豊臣政権を支える石田三成ら有能な家臣たちと出会ったのも、この長浜の地です。足軽から一国一城の主となり、天下人へのサクセスストーリーを歩み始めた秀吉の原点として、今も「出世城」の別名で親しまれています。
本能寺の変以降は、柴田勝家や山内一豊らが城主を務めましたが、1615年(慶長20年)に廃城。天守などの資材の多くは、隣国に築かれた彦根城へと流用されました。
現在の天守は1983年(昭和58年)に再興されたもので、内部は「長浜城歴史博物館」として、秀吉が夢を興した長浜の歴史を今に伝えています。
現在の天守は1983年(昭和58年)に再興されたもので、内部は「長浜城歴史博物館」として、秀吉が夢を興した長浜の歴史を今に伝えています。
天正大地震
1586年11月29日(天正13年11月29日)、戦国時代の勢力図と日本史を大きく揺るがした、日本史最大級の内陸直下型地震が中部・近畿地方を襲い、琵琶湖畔の柔らかい土地に建っていた長浜城は、液状化現象によって地割れが起き、天守や御殿がほぼ全壊(一部は琵琶湖に沈没)してしまいます。秀吉はこの地震で長浜城(兵糧の拠点)を失ったため、計画していた徳川家康の武力討伐(戦争)を急遽中止せざるを得なくなりました。もしこの地震がなければ、歴史は大きく変わっていたと言われています。
| 城名(別名) | 長浜城(ながはまじょう)、(今浜城、いまはまじょう) |
| 築城者 | 羽柴秀吉 |
| 築城年 | 1573年(天正元年)頃に着工、1575年(天正3年)頃に完成 |
| 城のタイプ | 平城(水城) |
| 城の地形 | 琵琶湖の東岸に位置し、湖水を城内に引き込んだ典型的な「湖城(水城)」。湖畔の湿地帯と琵琶湖そのものを天然の堀として利用。 |
| 城の標高 | 約86m(琵琶湖の水面標高が約84m) |
| 城の比高 | 約2m(平地・湖面に直接面しているため、周囲との高低差はほとんどない) |
登城後記
長浜城(長浜城歴史博物館)に登城してきました。琵琶湖のすぐそばに佇む白亜の天守閣は、どこから見ても本当に美しいです。
長浜といえば、いまNHKで放映中の大河ドラマ「豊臣兄弟」の舞台ですが、ちょうど2月3日の節分祭「長浜招福祭」の日だったのですが、お城の前の豊公園に大河のキャスト陣が大集結していていました。
正直、私が見分けられたのは秀吉・秀長兄弟の母親・なか役の坂井真紀さんだけでしたが(笑)。
正直、私が見分けられたのは秀吉・秀長兄弟の母親・なか役の坂井真紀さんだけでしたが(笑)。
ドラマを観ていると、秀吉が足軽から初めて一国一城の主となったこの場所の重みがひしひしと伝わってきます。出世城のパワーと、坂井真紀さんの福豆の御利益で、なんだか運気が上がりそうな大満足の登城になりました。








