自然の要害に築かれた城【箕輪城・群馬県】

JR高崎駅から箕郷(みさと)行のバスに乗って四ツ谷というバス停で下車、その後およそ15分くらい歩いて箕輪城に到着。時折、学校から子どもたちの声が聞こえる、箕輪城はそんな長閑な場所にあります。

さて、四ツ谷のバス停からすぐのところに箕郷公民館があり、その2階に100名城スタンプが設置してあるので、行く前に押してから城址へ向かうことにしました(いつも押し忘れるので)。スタンプを押さない場合は、もうひとつ先の箕郷本町で下車すると良いでしょう。

箕輪城の歴史的背景

1512年(永正九年)、長野業尚(なりひさ、尚業とも)が築城(1526年(大永六年)に業尚の子・信業が築城したとも伝わる)して依頼、武田氏、織田氏、北条氏、徳川氏と絶えず侵攻が繰り返された箕輪城ですが、信業の代からその子・業正(なりまさ)の時代に繁栄を極めました。
業正は「箕輪衆」呼ばれる武士団を統率し、幾度となく武田信玄の侵攻を退けますが、業正の死後、後を継いだ業盛(なりもり)の代についに武田軍の猛攻に耐えきれず、箕輪城は落城してしまいます。

落城後の箕輪城は、武田氏、織田氏、北条氏、徳川氏の支配下に置かれますが、、徳川家康が井伊直政に12万石を与えた後に現在の姿になりました。その後、関ヶ原の戦い前の1598年に高崎城へ移封されたため、約80年戦い抜いた箕輪城はその役目を終えることになります。

ちなみに、後に彦根藩の藩祖となった井伊直政を育てた人物が、柴咲コウが演じたNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」でも知られる遠州井伊谷(いいのや)の女城主・井伊直虎(いいなおとら)です。
※遠州井伊谷は現在の静岡県浜松市浜名区。

箕輪城址に到着。

今回のルートは、観音様口から郭馬出西虎口門を目指し、二の丸⇨本丸⇨搦手馬出⇨御前曲輪⇨三の丸、そして最後は大堀切を下り、追手門経由というコースでした。

郭馬出西虎口門

箕輪城の一番の見どころは郭馬出西虎口門です。2016年(平成28年)に当時の参考資料を元に復元された箕輪城最大の櫓門です。井伊直政の時代につくられた櫓門といわれていますが、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」のために復元されました。

この馬出門を通って、二の丸、本丸、御前曲輪へと向かいます。

大堀切

個人的に一番良かったのが、郭馬出西虎口門を見て左側にある縦に大きな堀切です。数少ない私の登城経験でも最大級の堀切です。堀切を登って攻め込む足軽とそれを上から迎え撃つ守備隊の攻防が目に浮かびます。

この大堀切は下まで続いています。今回は下りましたが、登ってみるのも山城を体感できて良いかもしれません。

二の丸・本丸・御前曲輪

二の丸⇨本丸⇨御前曲輪へ。本丸から蔵屋敷への橋が建設中でした。もう完成しているかもしれません。

御前曲輪の井戸は1927年(昭和2年)の地盤沈下によって偶然に発見され、長野氏の墓石など多くの遺品が発掘されました。

追手門(大手口)

郭馬出まで戻り、大堀切を下り追手門跡を目指しました。

城名(別名) 箕輪城
築城者 長野尚業(or業尚)(なりひさ)(築城年・築城者に諸説あり)。井伊直政が城主であった時代に現在の城となる。
築城年 1512年
城のタイプ 平山城
山の名前(標高) 榛名山の溶岩台地上の麓
城の標高 274m
城の比高 約200m