鶴と亀【猪苗代城・福島県】

猪苗代城の歴史

見出しの写真は、猪苗代城からみた磐梯山です。

磐梯山南麓に位置する猪苗代城の歴史は古く、鎌倉時代初期の1191年(建久2年)、この地を治めていた猪苗代経連(いなわしろつねつら)が築いた城です。本格的な築城法によって築いたものとしては日本最古と言われています。

戦国時代に入り、奥州(東北地方)では伊達氏・南部氏・最上氏・蘆名氏・佐竹氏などの戦国大名が長らく覇権争いを繰り広げていました。

各大名が反伊達勢力として結束していく中、猪苗代氏が黒川城(現会津城)を治めていた蘆名氏から伊達方に寝返るという大事件が起こります。

黒川城と目と鼻の先にある猪苗代城を手に入れた政宗は、1589年(天正17年)、「摺上原の戦い(すりあげはらのたたかい)」で蘆名氏を打ち破り黒川城(会津城)を手に入れます。
しかし、このことにより秀吉は「奥州仕置」を行い、会津藩主は蒲生氏郷に交代、その後、上杉氏、加藤氏と代わる度に支城であった猪苗代城主も代わりました。

江戸時代になり、須賀川城や向羽黒山城などの支城が「一国一城令」により廃城となる中、猪苗代城は会津藩の重要拠点として例外的に廃城されず、 戊辰戦争で焼失・落城するまでの約600年の歴史を生きぬくことになります。

現在は亀ヶ城公園として整備され、猪苗代町民の憩いの場となっています。「亀ヶ城」という別名は、城主が転封するたびに、城堀の大亀が水面に浮かぶという言い伝え由来するそうです。
または、会津城の「鶴ヶ城」に対して「亀ヶ城」と名前を変え、会津藩主松平家の墓地である土津神社(はにつじんじゃ)を守る役目もありました。

城名(別名) 猪苗代城(亀ヶ城)
築城者

猪苗代経連(いなわしろつねつら)

築城年 1191年(建久2年)
城のタイプ  平山城
山の名前(標高) 磐梯山南麓にある火山活動によってできたの丘
城の標高 550m
城の比高 約30m

登城後記

猪苗代町近辺は、猪苗代湖をはじめ、野口英世記念館や諸橋美術館、五色沼や会津磐梯山など、また、会津若松や日本三大ラーメンの喜多方も近く、一年中を通して見どころ遊びどころ満載です。

猪苗代町へのアクセスは、JR郡山駅から磐梯西線で約40分、猪苗代城へも徒歩圏内です。

会津城をはじめ、飯盛山、小田山城など、戦国時代に伊達政宗や蒲生氏郷が残した足跡や幕末維新の史跡などが数多く残る会津・猪苗代へ是非一度足を運んでみてください。