戦から権力の象徴へ【安土城・滋賀県】

安土城の歴史

安土城は、1579年に約3年の歳月を要して安土山に築かれた城です。築城者は言わずと知れた織田信長、家臣の丹羽長秀に築城の責任者に任命されました。

従来の戦うための城から権力の象徴的な城へと変えた、日本城郭で初めて高層天主(天守)をもった城が安土城です。

観音寺城の六角氏が観音寺城の支城として安土山に築いた城を拡張整備された城で、建築様式も観音寺城を参考にされています。
特に天守台は総石垣で、この築城技術がこの後の近代城郭に影響を与えます。このときに活躍した石垣職人衆「穴太衆(あのうしゅう)」が有名で、穴太衆によってこの築城技術が安土桃山時代から江戸時代にかけて日本全国に広まっていきます。

本能寺の変後に天主(天守)を始め主要な部分は消失してしまいましたが、当時の石垣や石段、また城内に信長が建立した摠見寺の二王門と三重塔が当時のまま残っています。

城名(別名) 安土城(鎌刃城、かまはじょう)
築城者 織田信長
築城年 1579年(天正4年)
城のタイプ  山城
山の名前(標高) 安土山(198m)
城の標高 198m
城の比高 約100m

登城後記

コロナ禍、そして年の暮れ12月ということもあり、観光客もまばらな安土城の登城となりました。

安土駅から安土城までの風情な城下町を歩き登城、そしてこれからが今回楽しみにしている観音寺城の登城です。

観音寺城といえば、度々このブログでも登場している蒲生氏が仕えた城でもあります。

その辺の話は観音寺城で書きたいと思います。

午前中に安土城、午後から観音寺城と計画していましたが、結論から言うと、時間が全然たりない登城となってしまいました。あたり前のことですが時間と下調べが本当に大事だと痛感したのと、今後の山城巡り良い経験ともなった登城でした。

この後、何日かかけて小谷城、高取城、彦根城など、100名城をメインに周ることになるのですが、この後登る観音寺城がきっかけで山城が好きにっなっていった気がします。