上杉・武田両軍の争奪戦【旭山城・長野県】

奪ったり奪られたり

今回も「葛山城」に引き続き、「ながの山城あるき」さんのHPを参考にさせていただきました。

ルートは地図を参考にして、このようになりました。

歩道入口 → 朝日山観世音堂ノ脇を通って登山口から登城 → 旭山(朝日山)城跡 → 登山道(下山)→ 阿弥陀寺 → 諏訪神社 → 長野駅

前回の「葛山城」と今回の「旭山城」の川中島合戦においての戦いを調べてみると、時系列的にはこうなります。

  1. 武田勢が旭山に「旭山城」を築城する
  2. 1555年、上杉勢が向城(付城)として「葛山城」を整備・拡大する
  3. 上杉勢の「葛山城」と武田勢の「旭山城」によるにらみ合い(長期戦)となるが、今川義元の仲介により和睦、「旭山城」が破却となる
  4. 1557年、武田勢が、上杉軍が雪で動きが取れない時期を見計らい「葛山城」を大軍を持って急襲。「葛山城」は落城する
  5. 今度は、上杉勢が破却された「旭山城」を修築して拠点とする
  6. 1561年、武田軍が上杉方の小柴見宮内(こしばみ、くない)を討ち、再び武田勢が「旭山城」を占拠する
  7. その後、戦の重要拠点が「海津城」や「長沼城」へと移っていく

ちなみに、旭山城へ登城する途中に「小柴見城跡」を通りましたが、今は畑になっていて、その面影は殆ど見ることができませんでした。「昔は木が生い茂っていたが今は畑に変わってしまった」と近所のおじいちゃんが教えてくれました。

石垣が凄い

途中で修復されたものなのかは定かではありませんんが、もし当時のまま自然に土に埋もれたり崩れたりした状態であれば、450年も昔に造られた石垣ということになりますので、非常に貴重なものを見ることが出来ました。マップでは少し分かりづらいですが、頂上の城跡が近づいてきたら上を注意しながら登ってみてください。登山道から見える石垣の他にも、足場が悪いですが中に入ってくともっとたくさんの石垣を見ることが出来ます。

また、頂上の城跡から石垣があった方向(展望台の反対側)に下りていくと(足場が悪いです)、更に石垣や倒壊した石が多く点在しています。是非下りてみてください。

城名(別名)旭山城(朝山城)
築城者武田晴信
築城年1555年
城のタイプ山城
山の名前(標高)旭山(785m)
城の標高785m(私の時計では738m、カシオプロトレック)
城の比高約350m

旭山城へのアクセス

長野駅からは乗合タクシーが運行しています。山頂に一番近い停留所は「⑱諏訪神社」になります。大人200円、小人100円で利用できます。詳しくは下にアルピコタクシーさんのURLをご参照ください。

長野市乗合タクシー「安茂里線」

私は徒歩で登城しましたが、特に迷うこともなく、長野駅から1時間もかからないくらいで山の入口に着くことが出来ました。グーグルマップで検索すると簡単に着くことが出来ます。現地についてからは、「ながの山城あるき」さんのマップを頼りにポイントをチェックしながら、心地よく城山巡りをすることが出来ました。

今回通ったルート

歩道入口。左に進むと歩道入口、左に進むと諏訪神社。

旭山観世音堂の脇を通って登山口へ。

登山口。いざ旭山城跡へ。

諏訪神社(帰り道) 
乗合タクシー(ここが山頂に一番近い停留所です)

登城後記

林檎畑の中の小道を登っていく、山の中にいるのにすぐ近くに林檎畑があって人の気配を感じる、なんとも不思議な感覚の登城となりました。人が手直しする程度と自然に朽ち果てていく度合いがちょうどよく、石垣が崩れて自然の状態で散乱していたり、この微妙な緊張感が山城に惹かれる理由なのかと思ってしまいます。人気がある立派な天守をもつ城になると安全面への配慮から整備されるのもやむを得ないことですが、自然に朽ちていく城も趣があって「いとおかし」。松代城に行ったときに、ご年配のおじさんが「ガキの頃は石垣がほとんど崩れていて、ここで夜皆で集まって酒飲んでたものだけど」って。なんとも羨ましい限りです。

旭山と長野市内